猫の腎移植プログラム
オールハート動物リファーラルセンター
国立大学法人 岩手大学公認 兼業事業
担当教授 片山 泰章
慢性腎臓病(CKD)は猫において最も多く認められる疾患のひとつです。腎臓は左右1つずつあり、 主に尿生成、身体の老廃物や有害物質の排泄、身体の水分調整の役割を担っています。さらに、血圧調整、赤血球の産生を促すホルモン分泌やビタミンDの活性化などの機能を有しています。CKDとはそのような重要な機能が徐々に低下してくる病態のことをいいます。腎臓は一度壊れると元に戻りません。病状が末期に進行すると、治療法としては輸液療法や透析療法により延命を図るしかないのが現状です。猫の場合、 体が小さく、人の場合と同様に腹膜透析や血液透析を用いて長期間維持することは大変困難です。また透析治療ではホルモン分泌やビタミン D の活性化などの機能を補うことはできません。そこで、機能しなくなった本来の腎臓の機能を代替する治療法として腎移植術が位置付けられています。猫の腎移植は、米国では末期CKDに対する根治的治療法として確立されています。
腎移植を決断するタイミング
猫の腎移植を実施するタイミングについてですが、 残念ながら明確な基準というものは存在しておらず、 各施設が独自に基準を設けているという状況です。はっきりと言えることは、腎移植は救急治療の範疇には入らないということです。当センターではおおよそ以下のように基準を設定しています。基礎疾患がなければ年齢は特に大きな問題にはなりませんが、10 歳以上ではそれ以下の場合と比較して術後生存率は若干悪くなる傾向が報告されています。当センターでは、多発性嚢胞腎や腎低形成などを含む内科治療による維持が困難な腎不全(例:CKD IRISステージ 4:血清クレアチニン(Cre)値> 5.0mg/dl)をおおまかな基準として設定しています。また、飼い主に飼育されているという観点からは、猫自身の状態だけでなく、飼い主側の要因により内科的維持管理の継続が困難な場合も腎移植対象から除外する基準として考慮します。
レシピエントについて
術前に下記の検査で腎不全以外に重大な基礎疾患を持っていないことを確認する必要があります。 特に感染症は要注意です。過去に尿路感染等に罹患したことがある場合は、主要免疫抑制剤であるシクロスポリンを事前に2 週間ほど服用して感染が再発しないかを確認する必要があります(シクロスポリンチャレンジテスト)。また、猫の性格によっては手術適応外となることがあります(とてもシャイな場合)。移植レシピエントは腎不全以外に重大な内科疾患を抱えていない動物が理想的です。しかしながら、レシピエントになりうる動物の多くは中齢~老齢であり、重症度は様々ですが腎不全以外に何か疾患を抱えていてもなんら不思議ではありません。当センターで は、その疾患が内科的にコントロールすることが容易であり、また術中術後の合併症や生存率に対してほとんど影響しないと考えられる場合に限っては適応症例としています。
ドナーについて
腎臓は通常2つありますので、そのどちらか一方をドナーから移植用腎臓として提供を受けます。ドナー問題は臓器移植においては避けては通れない道でありで、どのようなドナーソースを用いても議論が尽きることはないでしょう。ドナーとなる動物は、感染症や全身疾患に罹患していない健康体である必要があります。当センターでは保護施設において身寄りのない猫にドナーになってもらい、術後はドナーにマイクロチップを挿入し、飼い主にレシピエント同様、終生愛情を持って飼育していただくことを誓約していただきます。また、家族の一員である同居猫を主にドナーとして採用することもあります。その際は、ワクチン接種歴等の同居飼育を示すような書類と紹介先獣医師からの同居飼育している旨の文書の提出を求めています。当院では、適切なドナーが現れれば、手術までの待機期間はおそらく1週間程度と思われます。
片腎摘出のその後について
片腎を摘出すると腎不全になるという話を耳にする事がありますが、それを裏付ける報告は獣医臨床では存在しないと思われます。猫では Lirtzmanらがドナー猫からの腎摘出後、観察期間である2~5 年間は血中尿素窒素(BUN)および、血清クレアチニン値(Cre)値は正常範囲内であったと片腎摘出の腎機能に対する影響について報告しています。また、Wormserらの最近の報告では、追跡したドナー猫99頭において片腎摘出後約5%で慢性腎臓病への移行が認められましたが、これは一般的な猫における慢性腎臓病発症率と同等であったと報告しています。残腎機能が 約 30%以上あれば Cre 値は正常値を示しており普通に生活する事が可能ですが、当センターでは 念のためドナーに対してもレシピエント同様、術後は早期腎臓病処方食への切り替えを飼い主にお願いしています。
腎移植手術について
腎移植は末期CKDに対する唯一の根治的治療法と考えられています。まず、ドナーから腎臓を一つ取り出す手術を実施します。ドナーから摘出された腎臓は腎臓の短期保存(7時間までは保存可能)に優れている臓器保存液で灌流・冷却保存されます。ドナーは術後経過に問題がなければ術後3日程度で退院となります。次にレシピエントの手術となります。移植される腎臓はレシピエントの腹部背側におかれ、本来の腎臓は可能な限りそのままの状態で残します。これにより、仮に移植した腎臓が機能しなかった場合でも命をつなぐことができます。ドナーから摘出された移植腎の腎血管および尿管は髪の毛よりも細い糸でレシピエントに繋がれます。レシピエントは移植した腎臓が安定するまで入院となります。移植した腎臓は永久に機能するものでもありませ ん。獣医学領域での臓器移植医療は未だ開拓中の分野であり、予測できない事態が発生する場合があり、手術を行ったとしても術中に死亡する場合や生存期間を延長できない場合があることをご理解ください。
手術後の管理について
移植手術後は、拒絶反応を抑えるために一生涯免疫抑制剤(シクロスポリンとステロイド剤)を内服しなければなりません。一般的には 1 日 2 回の薬剤投与になりますが、1 日 1 回投与に変更することも可能です。退院後は免疫抑制剤の効果、移植した腎臓の機能状態、そして全身状態を把 握するために定期的な検査が必要となります。初めのうちは 1週間に1回、その後、徐々に間隔を延長し、最終的に3 ヶ月~6 ヶ月に1回の間隔とします。
術後合併症について
猫の腎臓血管はとても小さいため(腎動脈:直径 約 1mm、腎静脈:直径約2mm)、移植手術は手術顕微鏡を使ったとても細かい手術となります。したがって、手術後に血栓栓塞症などの術後合併症を引き起こし、移植腎が機能しなくなることがあります。前述の通り、移植後は一生涯の免疫抑制剤投与が必要となります。薬の投薬を怠った場合には、急性拒絶反応を起こして移植した腎臓が機能できなくなってしまいます。
手術成績
猫における腎移植は、米国では 1980 年代に末期腎不全に対する治療法として臨床導入されてから 30 年が経過しようとしています。Schmiedtらは 6 ヶ月生存率 65%、3 年生存率 40%と報告しています。全体の 22.5%が入院中に死亡しているが、うまく周術期を乗り切り退院することができたケースでは 6ヶ月生存率は84%、3 年生存率は45%とされており、執刀医である片山による経験では、患者数は少ないものの約3年〜8年生存した(している)ケースもいます。現在、 本邦において公式に猫の腎移植を実施している施設は当センターと岩手大学動物病院以外にありません。
腎移植対象から除外すべき疾患
- 心疾患
- 高血圧
- 感染症
- 炎症性腸疾患
- 甲状腺機能亢進症
- 腫瘍
- 糖尿病
- 悪液質
- シャイな性格
腎移植のためのレシピエント評価検査項目
- 完全血球計算
- 血液化学検査
- 尿検査(尿培養含む)
- ウイルス検査(FIV、FeLV、FIP)
- 心臓の評価(胸部エックス線検査、心電図検査、心エコー検査など)
- 腹部エックス線検査、腹部エコー検査
- 甲状腺検査(T4)
- トキソプラズマ抗体検査
- 腎バイオプシー
- シクロスポリンチャレンジテスト
- 血液適合検査(クロスマッチ試験)
- 血液型判定
- 歯科検査、歯石除去など
主な術後合併症
- 高血圧
- 尿管狭窄
- 血栓塞栓症
- 移植腎捻転による虚血性壊死
- 移植腎の機能遅延
- 急性シクロスポリン中毒
- 急性拒絶反応
- 感染症(致死的な場合もある)
- 腫瘍
- 糖尿病
問い合わせ
腎移植に関して ご質問は下記アドレスまでご連絡下さい。(すぐにお返事ができない場 合もありますので、ご了承ください) “猫の慢性腎機能障害に対する腎移植プログラムに関する問い合わせ pooboof@gmail.com オールハート動物リファーラルセンターまで
猫の腎移植にかかる費用は約150万円(税抜き)となっております。ドナーの手術費用、各種入院・検査費用(CT、ホルモン測定、輸血、腎生検、血中シクロスポリン濃度測定、約4週間の24時間体制の入院看護費用などを含みます。)